雑記/なぜ人はタピオカを飲むのか
○なんていうか、朝のSNSやら、最近の周りのいろいろを見ていて、何かの事例を見て勉強する、とか、これから何が必要とされるか、とか、社会課題に向き合おうとか、とても大切な事だと思うんだけど、「そもそもどう生きたいのか?」とか、「その人にしかできない関わり方」とか、「なんでそれが必要なの」とか、そういうもっと核になる動機にたどり着く機会がもっとあってもいいのではと感じる。結局、手段や方法、場所でしか繋がれていないことも多いので。
○当然のことながら、世間の女子が潜在的にタピオカ好きがいるわけではなく、かわいいタピオカを飲んだ姿とシェアする事である種の同調と話のタネを仕入れていると推測できる。同調とか、「不安だから周りと同じことをする」「なんとなく興味がある」「これからは社会課題解決」「スタートアップ」「持続可能なことをしよう」とかの前に、まずは人の核というか、動機を個々の中に見つけるべき、あるいはそういった場を増やしたいなと思ったりする。なので、なぜ今タピオカが好きなのか、とか、なぜ急にタピオカを飲み比べるのかといった、タピオカに無関心な人たちにも、その動機や思いを伝え、ほうほう、なるほど、と耳を傾けてもらえたらOKかなと笑
○そんなこんなで、この個々の根源的な部分をなんて言い表したらいいのだろうと、Google先生で「人_核」って検索したら、縄文人とアメリカと北朝鮮関係で二極化した結果が出て来た笑そもそも検索をする為の語彙が少ない事は仕方がないのだけど、これがアルゴリズムで導き出された普段の僕のサーチワードからの偏りでないことを願う。
○「縄文人はアイヌ人にもっとも近く、ついでオキナワ人、そしてヤマト人(アイヌ人とオキナワ人を除く日本列島人)に近縁」であるそうな。(中略)そして現代の本土日本人に伝えられた縄文人ゲノムの割合は15%程度。
○TEDxSapporoにいった時に聞いたアイヌ人デザイナーのToyToyさんの話は胸に突き刺さった。北海道でのアイヌ差別は、この現代でも根強く存在する。故にアイヌの人たちは民族性を捨てる(隠す)か、声だかに主張するかの2択しかないのではと勝手ながら想像した。ToyToyさんは今、アイヌ、オキナワ、そしてヤマトとの3つの音楽の起源をさかのぼる音楽活動をされるのをSNSで拝見した。あのステージでの涙と「人を信じていいのか」といった問いに、自分自身の生きる上での障壁と、これから自分自身がこうあるべきなのではといった勇気ももらった。
○コミュニティの中と外では、大なり小なり、そういった壁をつくっているのは人であるわけで、僕はそういった壁を取っ払っていく事に喜びを感じている。
○アートは自分自身の根源までを掘り下げていく作業でもあるし、それを表現する思考でもあるといる。デザインは壁を取り払い、広く目に触れ、理解の母数を広げるスキルでもあると思っている。
○そういう意味で、僕の今の会社の理念「デザインとアートで人の心をつなげる」は、とってもしっくりきている。
○タピオカの写真をググっていたら、本当にいろんなタピオカドリンクが出て来て、デザインも様々。トッピンングもいろいろだし、食欲を誘うカラーリングだったり。多様化するとここまでアレンジ力が上がり、ビジュアルのクオリティが上がるのかと驚いた。味もきっと美味しくなってくるのだろうと思う。タピオカドリンク飲みたくなってきた。
まだいまだ。