ピノッキオ。


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ピノッキオ。

Wikipediaにあった、イタリアの童話、ピノッキオの解説から抜粋。

ある日、大工のチリエージャ(サクランボの意。丸くて赤むらさき色の鼻より。英語版ではチェリー)親方は、意志を持って話をする丸太を見つける。そして、そこにジェッペット(ゼペット)じいさんが現れ、丸太を木の人形にし、ピノッキオと名付ける。ところが、このピノッキオは勉強と努力が嫌いで、すぐに美味しい話に騙される。たとえば、話をするコオロギなどの忠告にも耳を貸さず、人形芝居の親方に焼かれそうになったり、狐と猫にそそのかされて、殺されそうになったりする。終盤に巨大なサメに飲み込まれるが、マグロに助けてもらう。真面目に勉強し働くようになったピノッキオは、最後に夢に現れた妖精によって人間になる。苦難を乗り越えて人間の少年へと変化するまでの逸話が書かれている。

人は生まれ育った環境によって、将来を大きく左右されます。
そして、それを自覚し、よりよい道を思い描いても
なかなか上手く物事は進まないものですね。

僕は中学生、高校生の頃、まわりに憧れや期待感を持っていても
なぜか自分は同じことができず、周りから叱られたり、失敗したり、諦めの連続でした。そうして易きへ流れ、自堕落担っていた頃、大学進学へ淡い希望を抱いていた時に絵画教室に通いました。そこでは、「なぜ進学するのか?」「進学したのちどのように生きていくのか?」そのイメージが湧いてから進学をしなさい、進学のための勉強では長くは持たない。そんなことを言われ続けてきました。

当時はそんなことも理解できず、ただただ、僕は何をしたいのか、両親はどういう思いで育ててきたのか。そもそも両親とは誰なのか。

都合の良い時に親が用意してくれたものを武器に、都合の悪い時は他人を盾に閉じこもる。
これではいけない、僕ができる事をつくらないとそんな事を学んだんだと思います。
絵画教室ではみんなそれぞれがそういった話をしていましたので、いろんな家庭環境を見る事ができました。そんな中で、僕自信が背負っているもの、それに向き合う事の大切さを徐々に感じる事ができるようになりました。

一人一人背負うものは違うけれども、まず宿命に気づき、向き合い始めるまでの年齢分、人は背負ったものから解放されるまでに時間がかかる。そう言われた時は既に18か19歳の頃でした。

今日で38歳です。

その言葉が本当ならば、僕は40歳と少しで自分自身の人生を歩む事になります。

ピノッキオは賢さや容量の良さではなく、優しさや思いやりの心をいろんな経験をして身につけていったそうです。

僕にとって絵画教室の先生は、どんなに怠惰であろうが嘘をつこうが、常に厳しく、時に優しく接し、いろんな事を教え続けてくれたチリージャです。

果たして、ピノッキオから人間になる日はいつ来るのか。1日1日、自分と向き合い続けたいと思います。

皆様にとって良い一年でありますように。